日本人の心と癒し

日本人とユダヤ人の心と文化の接点

 日本の歴史には諸説あります。太古からの歴史を研究した人により、その説は異なります。それも当然で、昔の日本をしる手がかりは、日本書紀や古事記、魏志倭人伝などの限られた情報にたよるしかありません。それも、当時の執筆者がどんな目的でどんなアングルからその書物を残したかなども正確には推測できるわけもなく、研究者のアプローチに一任されることになります。こうなると、違いが出てくるのは当然で、どれだけ緻密な研究をしても、おそらくは多くの誤解や完全推測を含むことになるのです。歴史の研究は大変な作業です。

その中で、日本民族は異なった20を越える民族で古来から形成されてきたという説もあります。そして、さらにユニークな説としては、日本民族の伝統の中にはユダヤの伝統、ユダヤ民族の血が混ざっているというものです。そして、日本の伝統文化の中にこのユダヤの思想や習慣がしっかり根ざしているという説が当然のようにあるのも事実です。ご存知でしたか?

●京都の祇園祭の神輿にはシルロードのデザインがあり、そしてその由来はユダヤにあるとすでに京都の人たちが認めている。祇園(ギオン)とはユダヤ語(ヘブライ語)でZION(シオン)と共通する。
●ヤマト民族のヤマトとは、ユダヤ語(ヘブライ語)でヤ・ウマトとなり、神の民という意味である
●日本の祭りで使うおみこし(神輿)はユダヤ教で登場する契約の箱そのもののデザイン。尚、契約の箱は、日本・四国の剣山に隠されているという根強い説もある。
●この祇園祭や四国の剣山で行われている祭りは、古くユダヤの祭りと同じ日程で行われ、その儀式の方法も全く同じ。
●祇園祭の古来からの神輿にはなんと日本のデザインとはかけ離れた中東をイメージする絵が描かれている。シルクロードの絵であるとの説が強い。
●日本語とユダヤ人の言語(ヘブライ語)には信じられないほど多くの共通する発音や意味を持つ。日本語の平仮名はヘブライ語がそのままルーツだという説がある。
●清めの塩や水は欧米人が見てもなにも意味を理解しないが、ユダヤ人は即座にそれが清めの意味であることを理解する同じ精神文化を持つ
●失われた10支族のうちのどれかの支族が日本にも到着した可能性が非常に高い
●ユダヤ語(ヘブライ語)で意味をもつ言葉が、日本の地名に数多く存在する
●秦氏という日本史上の民族の到来は、ユダヤ人であった可能性が高い。秦氏の支族は日本で古来から文化伝道の活動をしているが、本名を使わないという説もある。つまり、日本にすでにユダヤの血は定着しているという説。
●あまりに多くの生活習慣に共通性が残る

など、これらはほんの抜粋に過ぎないけれど、日本とユダヤの文化には恐ろしいほどの共通性があるのです。もし興味があれば、日本とユダヤの関連性について調べてみるといいでしょう。次々に関係がみつかっては、間違いなく愕然とするほどの経験をするはずです→参考:聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria) /日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

かつて、ある高名なユダヤ人が日本にお忍びでやってきました。お忍びでくる理由は、そうしないといちいちマスメディアに取り上げられるからということでしょうが、どうしても日本に来てこのことを確かめたかったようです。その結果、そのユダヤ人は目の前に見るあまりのユダヤ文化の共通性と同一性に本当に仰天してしまうほど驚きました。まさに、驚愕の事実を目の前で見てしまい、それまで無関心だった日本が完全に身近な国になったということです。
これは、日本人がどう感じようと自由だですが、ユダヤ人のほうから見れば、間違いなくユダヤの文化が日本に定着しているということであり、日本人の歴史の中に間違いなくユダヤ人の血が混ざっているということです。

 私たちは古くから日本人は独自の民族だと思っていることが多いのではないでしょうか。しかし、見方によっては、このように日本人は相当古くから世界からの影響を受けて形成されてきたという観点すらあるのです。そして、もしユダヤ人との接点があるとすれば、案外多くのことで説明がつくことも多いのです。

日本人の住む日本とは神の国として心に描かれています。日本人とはかつて様々な血統を経て、たどり着いたひとつの神の姿なのかもしれません。ユダヤ人が神を持つように、我々日本人も神を持ちます。この共通性と心の似通った部分は、もしかすると日本人の心の原点になにか大きな影響がユダヤ人から届いていたのかもしれないのです。

このような歴史研究は、ある意味では邪道かもしれません。古来からの日本史に対して、意義をとなえるからです。しかし、日本史とはある研究家が日本の伝統を見つけるために作業することで完成するものです。なので、その研究が見落とすもの、無視するもの、さらにはどうしても歪曲して結論付けるものまで、おそらくは必ず存在します。なので、真実はその日本史のとおりであるとは断言できません。歴史、日本史、そして日本人の心の歴史と伝統は、まだ知られていないベールの裏側なのかもしれません。

日本人の心を作り上げた本当の原点を知るときがいつかくることを願います。