アートの癒しパワー

モーツアルトを蘇らせてくれたピアニスト・グルダ

モーツアルトはどちらかというと明るい曲調の作品のほうが知られているし、人気があるのだろう。しかし、研究者によると、それはどうもモーツアルトが常に明るい作品を志したからではなく、当時、作曲で生計を立てていたモーツアルトが、あかるい作品を依頼されて(つまりお金をもらって)作曲していたからだという解釈が一般的らしい。僕は、モーツアルトのファンなので、もちろんそんな明るい部分の作品からもエネルギーを得るし、心からその完璧な天才の存在を喜びとして感じている。

 ここでは、実は僕がモーツアルト作品の中でしばしば接している作品「ピアノ協奏曲20番」を呟きたい。なぜかというと、僕はこの作品にはモーツアルトの表と裏、喜びと悲しみのような表情を多く感じ取ってしまうからだ。とにかく、好きな作品なのだから仕方がない。そして、僕は何故か、このピアノ協奏曲20番ではオーストリアの鬼才ピアニスト、フリードリッヒ・グルダの演奏が最高にすきなのだ。そこには、僕がこの曲に、そしてモーツアルトに感じているすべてがあるからなのだけれど…

まず、ピアニスト兼オーケストラを指揮するグルダは、知る人は日本では少ないかもしれないけれど、世界的な名声と才能を持ったピアニストだった。残念ながら2000年(だったか?)に心臓発作で他界している。その存命中の演奏はどれもが鬼才を十分に証明するものなかりで、一般にピアニストというと誰もが持つような紳士的で社交的なイメージとはグルダは程遠かった。破天荒な演奏スタイルとストレートで力強いピアノ演奏と指揮者、というイメージだろうか。だから、モーツアルトの美をグルダが愛したというのは一般にはちょっと不思議な感じかもしれない。でも、僕にはグルダこそモーツアルトのすべてを持っていたような気分にさえなってしまうこともある。グルダの演奏には美もあれば力もあれば想像性とオリジナリティもある。そして、他の奏者にはあまりない魂の発散がステージにほとばしっている。

僕のモーツアルト像とういのは、実はこのグルダの姿に大いにかぶるものがあるのだ。現代ではモーツアルトとビートルズの共通点もしばしば語られるけれど、クラシック界のピアニストで僕が演奏者の中にモーツアルトの幻影を感じたのはこのグルダだけだった。そのくらい、僕がモーツアルトを愛する理由を再確認したのがこのグルダのピアノ協奏曲20番だったのだ。

おそらくモーツアルトの純粋なファンの人は(というかアベレージなファンの方は)、モーツアルトの純粋で美しく崇高な作品の側面を愛するのではないだろうか。特に女性ファンはそうかもしれない。もちろん、僕もそれは好きだし、モーツアルトの最大の魅力のひとつなのもわかっている。だけれども、僕にとってのモーツアルトはどちらかというと、才能のおもむくままに作品を自由闊達に発散し続けた天才でしかない。誰にも理解できないほどの才能を持ち、作り出す音楽をすべてモーツアルトブランドにしてしまうエネルギーの泉は単なる「美しい作品」という表現だけでは語れない。それは、美と爆発の共存の世界であって、アートのすべてを包括しているとすら思っている。だから、僕は時々モーツアルトを弾くピアニストやバイオリニストがやたらにその美や優雅さだけを強調するのは耐えられないし、正直言えば、嫌いな解釈なのだ。モーツアルトには極限の美がある。それは、真実の美しさなのだろう。そして、モーツアルトの作品には人間の限界の才能がビッグバン状態となって残っている。僕は、モーツアルトの作品に「おきまりのきれいな演奏」をしているものは、聴きたくもない。けれど、多少過激であっても、また、正しいかどうかは別にしても、モーツアルトの持っていった才能を今に再現してくれる演奏者の作品をどうしても聴いてしまうのだ。グルダを選ぶのはそのためだし、グルダ自身があれだけ鬼才でエネルギーを持ちながら、優雅で美的なモーツアルトを好んで演奏したのは、間違いなく、モーツアルトの作品に「美と優雅さ以外のエネルギーの爆発」を感じ取っていたからだと思っている。

 モーツアルトは、このピアノ協奏曲20番を作曲した頃、フリーメイソンとの交流があったといわれている。または、作曲の依頼者がフリーメイソンだったのかもしれないが、いずれにしても、影の存在との接点によりこのマイナー調の作品が誕生したのは間違いない。しかし、マイナーという側面だけではなく、そこには第2楽章のロマンスの極限の美もありながら、第1楽章と第3楽章の魂のうねりをも持っている。これこそ、モーツアルトの才能を包括的に発揮している作品であり、恐ろしく深いところで聴くものの感動を呼び起こしてくる。しかし、深さという点ではベートーベンのような真剣さではなく、あくまで直接的な(または直感的な)感性への訴えが心の深部に到達してくるような美とエネルギーがこの作品にはあふれている。

そして、このピアノ協奏曲20番を弾き指揮も行うグルダには、モーツアルトの才能のほとばしりを感じるものすらある。破天荒であっても、力強い美がある。オリジナルであっても、究極の才能は大衆を動かす。そんなモーツアルトの作品の真髄をグルダは素晴らしく再現してくれていた。そこにはもう再現できないオーケストラとの演奏と掛け合いの緊張感が漂っていた。今となっては、もうグルダのモーツアルトもライブで聴くことはできないと思うと心底さびしい。けれど、グルダに出会えたことは幸福だった。モーツアルトはすでに譜面の中でしか、その実像を知ることがないけれど、グルダはモーツアルトの譜面から魂を呼びだして僕にその音を聞かせてくれたような気がしている。

大袈裟でもなんでもなく、僕にとってはグルダの演奏こそがモーツアルトの才能と魂を蘇らせてくれたとさえいえる。素晴らしいピアニストであったし、彼こそ、モーツアルトを最も正しく今に伝えた奏者だったとも信じている。