アートの癒しパワー

モーツアルトの癒し 交響曲40番

恐るべき才能の洪水・緊張感と安らぎの交錯する壮大な作品

モーツアルトの作品ではトップクラスに有名なものでしょう。それは、やはり名作だからに他なりません。この作品のすばらしさは、最後の楽章が終わるまで、一切の音の緊張が途切れることなく、そのテンションの隙間を縫うように鮮やかなほどの安らぎの音が現れては消えていきます。あまりのコントラストの美にこれこそ言葉を失います。

モーツアルトは、誰も否定し得ない天才でした。わずか7歳で手にしたバイオリンを弾き、交響曲を作り、その才能は教育を経て現れるものではなく、あくまで天が与えた才能だったのです。だからこそ、わずか35年あまりの人生にもかかわらず、膨大な量の作品を世に残し、それらは今も燦然と輝く人類の至宝です。

モーツアルトの作品を聴いていると、あまりの完成した形に圧倒されます。特にショパンやリストのピアノのように絶技を披露しているわけではありません。しかし、モーツアルトの音楽にある喜怒哀楽の表情、そして音がどれひとつとして不要と感じることない整合性の見事さ、それに接すると神の音だった、という言葉が嘘には思えなくなります。

このは、モーツアルトの交響曲の中でも特に人気が高い作品ですが、聴くほどに深い感動が得られます。そして、身を任せるように聴くほどに心が「モーツアルトを受信」しはじめるような感覚になるのです。モーツアルトは、今もこれらの作品を通してわれわれに神の声を聞かせてくれているのかもしれません。

癒しという観点で言うなら、おそらくこの交響曲5番がわれわれに与える癒しは、宇宙の生物として生まれたわれに自然の摂理を教えてくれているような癒し…そんな風にさえ思います。この才能に接しているということは、まさに宇宙の一点にいまわれわれが位置していて、そこで神の声を得ているという壮大なスケールで音楽が流れ込んでくるような気がするのです。

モーツアルトの音楽は、美しく、優雅で、大胆で、自由で、そして刹那な感性までが均等に存在します。どれかが勝るという作品でもありません。ベートーベンが哲学的なイメージを持つように、誰でも作品には個性が出ます。それがモーツアルトの場合は、あまりに「自然」なのです。人間がもつすべての感情、すべての心、それがすべて自然なままに流れでてくるのです。だからこそ、われわれはモーツアルトの前で自然体になっては、心が癒されるのでしょう・

この交響曲40番は、そんなモーツアルトの存在の自然さを最も受け入れてしまう、巨大な才能の結集です。傑作ではありますが、それ以上に、この完成美のもつ力には癒しというレベルを超えて、ひとつの自然な物体に戻る、という自然界、地球のレベル、はてには宇宙レベルでの癒しにも近づくような気がします。