日本人の心と癒し

オリンピックと日本の心

日本人が感動するときはどんな時でしょうか?人は誰でも感動したり喜んだりで涙を流しますが、日本人が日本という国のために涙を流すこととなると少ないでしょう。しかし、そんな感動的な時も実はしっかりあるのです。オリンピックがいい例です。

オリンピックでは、誰もが日本の選手を応援しますが、彼らが本当にすばらしい活躍をしたとき、またはメダルを取ったときなど、日本人は「日本人であることを喜ぶように感動して涙を流す」という場面に遭遇します。これは、いつもは全く国家や日本人として自覚していないときでも、なぜか、日本人の活躍に胸熱くして涙を流す不思議な現象です。

 ですが、この現象こそ我々日本人の本質をよくあらわしています。日本人は、すでに国際化した社会になじんできていて、いつもは日本人であることや日本という国をとりわけ誇張して語ることをすでに卒業しているのではないでしょか。毎日が国際色溢れる話題や情報に流されていると、日本人・日本国というテーマで物を語るという習慣は次第に薄れてきてしまっているのです。しかし、根底にはまだまだしっかり日本人と日本国に対する意識は存在していて、オリンピックのような「日本人・日本国」というスタンスで世界に登場する場面では、その眠っていた意識が蘇ってくるのでしょう。日本人選手の活躍に喜び涙する日本人を見ると、不思議に一体感を感じて自分まで嬉しくなる、そんな経験をもつ日本人は多いのではないでしょうか。

日本人の心は、不思議と他の民族や国家の前ではあまり露出しません。それは、他を優先し自分を控えめにするという日本人の美徳と社会教育のためでしょう。どうしても、日本自身の国家観を語ることをあまり喜んで行うこともありません。それが日本人でもあるのですが。

しかし、オリンピックというゲームは言葉で語るのではなく、選手の努力と才能だけで競う世界です。そこには、主張や言論ではなく、しっかりと自分自身の最善を尽くすという形で評価がなされます。なので、一目瞭然なまでの日本人や日本国家の結果に対して、純粋に大喜びしてもいいわけです。日本人が日本人を、日本国家を大いに賞賛していい最大の機会がオリンピックなのでしょう。

日本人がこのようにオリンピックで心をひとつにできる姿を見ていると、日本人はいまだにすばらしい連帯感と共同意識、互助意識を根底には持っている民族であるということもわかります。いつもは、社会で疎遠にしている隣の人でも、同じ日本人であって、やはり根底では共通の意識と国家観をもっているということです。オリンピックで、全国民が日本を喜ぶ様子は本当に胸が熱くなるものです。

忘れないようにしましょう。日本人は、本来、このように共同意識と互助の精神と他を認める優雅な精神を持ち合わせた人々なのです。であるからこそ、日本人は自分自身の心というものにもっと自信をもっていいのでしょう。日本という国に対して、全員が共通の尊厳を持ち続けるなら、おそらくは今の社会にあるいかなる問題も国民のレベルで解決していけるはずなのです。ただ、それを忘れてしまって、社会の忙しさや新しい価値観に流されてしまっているだけなのです。

日本人の心をもう一度社会に取り戻しましょう。そうすれば、信頼と安らぎの社会が実現します。